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【浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)】


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住所・・・東京都中央区浜離宮庭園1-1
徒歩の目安・・・三田駅から徒歩約25分

ここは結構不思議な空間です。
背景に屹立する現代的なビル群に対し、園内の野趣あふれるのどかさコントラストが、皇居のお堀沿いとは違ったニュアンスを感じさせ非常にユニークです。

浜離宮庭園開園時間午前9時から午後5時入園は午後4時30分まで)。 イベント開催などで開園時間が延長される場合があり、みどりの日・都民の日においては、無料で観覧可能となります。

現在、浜離宮庭園がある場所は、江戸幕府の開府後(1603年~)、寛永年間(1624~1644年)までは一面の芦野原でした。当時、ここは将軍家鷹狩場でした。1654年(承応3年)に四代将軍徳川家綱(とくがわ いえつな)の弟で甲府藩主の松平綱重(まつだいら つなしげ)がこの地を拝領し、海を埋め立てて「甲府浜屋敷(こうふはまやしき)」と呼ばれる別邸を立てました。

その後は甲府藩の下屋敷として使用されていましたが、綱重の子である徳川家宣(とくがわ いえのぶ)が六代将軍になると、この屋敷は将軍家の別邸となり、その名称を浜御殿(はまごてん)と改称して大幅な改修が行われて、茶園、火薬所、庭園などが整備されました。

それ以降、歴代の徳川将軍により造園、改修工事が何度か行われ、十一代将軍徳川家斉(とくがわ いえなり)の時には、ほぼ現在の庭園の姿が完成しました。

幕末には外国人を接待する場所として、幕府海軍伝習屯所(ばくふかいぐんでんしゅうとんしょ)を1870年(明治3年)急遽改修し、石造りの洋館である延遼館(えんりょうかん)を建築しました。延遼館は、明治維新(1868年)後も鹿鳴館(ろくめいかん)が完成する1883年(明治16年)7月までは迎賓館として使用されましたが、1889年(明治22年)に取り壊され現存していません

明治維新(1868年)後には、皇室の離宮となって宮内省の管轄となり名前も「浜離宮(はまりきゅう)」と改められ、明治天皇も度々訪れました。

その後、関東大震災空襲により、大手門、御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷したので、庭園内の手入れが行き届いていた頃の様子はなくなりましたが、1945年(昭和20年)の終戦後、GHQの要求により天皇家より東京都に下賜され(天皇家による所有期間は正味77年間)、翌1946年(昭和21年)4月1日、 整備後に都立庭園として有料で一般公開を開始しました。

1952年(昭和23年)には国の文化財保護法に基づき、旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定され現在に至ります。

【アドバイス】

徒歩で浜離宮庭園までは少々歩き応えがあります。ゆったりした気分でチャレンジしてみてください。

≪オススメルート≫

三田駅出口

第一京浜道路(「芝5丁目交差点」左折。100mくらい行くと道路沿い右手にコンビニのampmがあります。)

芝4丁目交差点右折(旧海岸通りを進みます。)

南浜橋を渡ったらすぐ左折(首都高の下はうるさいので、川沿いの道を進みましょう。)

対岸に「シーバンス」「東芝ビルディング」、を見ながらトコトコ歩きます。

さらに進み道路左手に「旧芝離宮恩賜庭園」を見ながら進みます。

さらに「アクティ汐留」沿いの綺麗な道を歩き「イタリア公園」のところまで来ると入り口に着きます。

また、「オラ、浜離宮公園にキター」という気分を味わいたい方は、さらに道沿いを10分程歩いて「大手門」から入ることをオススメします。それなりの充実感を味わえるでしょう。

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